風の吹きしく

日記とか、考えたこととかをばらばらと。

人の愚痴を聞くのは面白いけど疲れる。

 仕事の成り行きで、上司の愚痴と自慢を3時間程度聞かされることになった。

「すごいですねー!」「それは大変ですね…」「勉強になります」を言い続ける3時間。

 もちろん純粋におもしろいなとか勉強になるなと思う話もあるし、愚痴についても怖いもの見たさというか人の裏側を覗いてる感あって「へえ~」なんて気持ちで聞いていたけど、家に帰ってきてびっくりするほど疲れていることに気づいた。

 

 そういえば、前の職場でも毎日一緒にお昼を食べていた人の愚痴&噂話を聞いてたけど、あれも結構疲れたな。

 

 なお、愚痴&噂話の主な内容は「あいつは仕事ができない、こんなミスをした」「自分はこんなミスの尻拭いをしているが評価されない」といった感じ。

 

 なんでこんなに愚痴(&噂話)を聞くのが疲れるんだろうか。ちょっと考えてみることにした。

・人のミスの話をされているだけだが、婉曲的に自分の仕事の仕方を責められている気がする。また、自分もミスをしたらこんな風に裏で色々言われるんだなと思って気が重くなる。

・職場で「この人こんなミスしたんだ…」とか「この人とこの人、表面上は仲良さそうなのに本心では嫌いなんだ」とかいちいち思ってしまってメンドクサイ。

 

 一方で、この愚痴&噂話を聞くことに、一定のメリットもあるよなとも思う。私が現時点で感じているのはこんなメリット。

・人のミスを聞くことで、自分が同じミスをすることを未然に防ごうという意識が働く。人の振り見て我が振り直せ。

・(偏りはあると理解した上で)あの人は実はこんな問題を起こした人なんだということを事前に知ることで、その人に関係するトラブルを未然に回避する。

 

 まあ、でもこのメリットはわざわざ「愚痴・噂話」として聞かなくても、端的に事実としてさらっと「こういうミスあるから気を付けてね」「あの人こういうミスすることあるから気を付けてね」と言われれば充分防げそう。

 そう思うと、それ以上の感情的な愚痴に延々と付き合う必要性もないな。

 それを聞くことで自分のメンタルにもダメージ食らうくらいならなおさら。

 

 というわけで、今後、愚痴&噂話を言われそうになったらさらっと切り上げたい。

 対処方法を考えてみよう!

 

・「わー、そうなんですね。ところで○○っておいしいんですかね食べたことないんですよー」→あからさまに違う話題に変える。

・「実は私もこんなミスしたんですよねガハハ」→ミス返し

・「んー、はあ、そう、なんですね…」→気のない返事する。

 

 というか、こうやってつらつらと書いてて思ったんだけど、たかが上司の愚痴と自慢でこんなあれこれ考えてる私って真面目すぎないか? もうちょっと肩の力抜きなよ~、うっさい上司だな~で済む話じゃん?! そんなクソ真面目に考えすぎたらほんとにメンタル病むぞ! という心境になってきた。

 

 何事も考えすぎはほどほどに。

 しぶとく明るく前向きに生きよう。

 

 おやすみなさい。

なすとピーマンとオクラがいっぱい採れる

ちんまりした畑でぼちぼちと野菜を育てているけど、ここにきてなすとピーマンとオクラがいっぱいとれている。

なすとピーマンは、8月はカメムシが大量発生していて死にかけていたけど、私が毎朝殺生しまくったおかげで復活してきた。

オクラはここにきてやっと本気出してきたかんじ。

 

しかし、野菜が毎日のように畑で採れるのはいいことだけど、問題がある。

毎日そればかり食卓にあがるということだ。

 

考えてほしい。毎日毎日毎日、野菜といえばなすとピーマンとオクラばかり。私は一週間くらいはおいしく食べれたけど、二週間を超えると「また今日もナスの焼きびたしか。でもナス焼きも昨日つくったしな…」となった。ナスのレシピのレパートリーが少なすぎる。あ、マーボーナスはまだ作ってないから作らなきゃ。

 

ちなみにオクラは毎日丸のままレンチンするかオーブントースターで焼くかの二択のみ。なぜなら切ると「ネバネバきらい」って子供に言われるからです。そのままレンチンオクラの丸かじりおいしいよー。



ところで、友人から「ベランダ菜園をしたいけど無農薬とか化学肥料とか有機農法とかよくわからん。何も知らない初心者だと無農薬とか有機はむずかしいのか」と聞かれた。

「詳しい農法とかあまり気にしなくていいよ。何か作りたいなら、ホームセンターとかに売ってる「野菜の土」みたいなの買ってきて、苗植えたらいいよ。ベランダだったら虫も来にくそうだし来てもポイって取ったらいいから農薬いらんやろ」

と言っといた。

 

それで黒字出そうとするプロ農家だと、収量に不確実性の出やすい有機や農薬不使用は難しい面もあるだろうけど、そこにこだわりのない家庭菜園なら充分楽しめると思う。

将来なりたかったものの話

日々を過ごしているとたまに、私の人生これでいいんだっけ?とか、目指したい人物像はあるのかなんてことを考える瞬間があったりする。

 

目指したい人物か…とくにないな。昔はどうだっけ?なんて考えて、そういえば私、小学生のころは短槍使いのバルサみたいな人になりたかったっけ、ということをふと思い出した。

 

短槍使いのバルサは「精霊の守り人」から始まる物語のシリーズの主人公。もともとは小説だけど漫画化、アニメ化、ドラマ化もされた超有名な児童文学ファンタジー。めちゃくちゃ面白いので一作目の「精霊の守り人」だけでも読んでみてほしい。

バルサは30才ちょっとの化粧気のない女性、凄腕の短槍の使い手で普段は用心棒をして生計を立てている。

 

小学生のころ「私もバルサみたいな短槍使いになりたい」と言って野山で手ごろな長さの棒切れを拾ってきて先端を尖らせて家の中でぶん回そうとしてたら母親に外でやれと怒られた気がする。結局ベランダでぶん回してた。

 

バルサのかっこいいところをあげてみる。※あくまで私の主観です。

・何はともあれ強い。

・ただ腕っぷしが強いわけじゃなく、人体の動きや人の思考なども読んで、その場で最適な動きができる。

・旅慣れていて荷物が最小限(着替えは二枚で日々洗いながら着まわしている)。

・若いころは負けん気が強くてはねっかえりの印象が強かったけど、大人になって落ち着いてからは周りを見る余裕ができて、頼もしい人という印象。

 

本当はもっとかっこいいいところあるけど、うまく言葉にできないし言葉にすると「違うな…」ってなるのでこれくらいで。

 

さて、じゃあ今の自分はどんな大人になっているかと振り返ってみると、昨日なんて子供に「ねーおかーさーん」と呼ばれて「おかあさんじゃないよエダマメだよ」と返事して、「うええーん! おかあさんがエダマメになっちゃったー」って泣かれたり、「エダマメー、絵本よんでー」って喜ばれたりした。

たまに母親であることに疲れるから、他のものになりたくなるじゃないですか。

エダマメはおいしいので大好きです。



バルサみたいな人間にはほど遠いな…。



気を取り直して。バルサみたいな人間にはほど遠いかもしれないけど、普段はエダマメかもしれないけど、もう少し周りを見る余裕と頼もしさと肉体的・精神的な強さを手に入れたい。

 

そう思って今日一日を頑張ります。